諦めの言葉

どうせ聞いてもらえないし。」
「あいつはそういう奴だから。何を言っても変わらないよ。」
家の中に漂う諦め感。 誰しも経験があるんじゃないかな。
それは親子の関係かもしれない。あるいは兄弟、夫婦かもしれない。
夫婦・家族なのに、家に帰ってきても何かアウェイな感覚。
次は何をしでかすんだ?と監視しているような、されているような
どちらが上でどちらが下かの主導権争いが繰り返されるような
誰かの正しさを他の誰かの正しさで打ち消すような


あなたにとってのHomeって?

でも、もし自分の家で、夫婦・家族の間で、安心して「今の自分」を出す事ができたら?
「上手く言えないけど、なんか今の仕事(自分の状態)にモヤモヤしてるんだ」と小さな”気づき”を話せたら?
それが正しいか間違いかじゃなく、「何が起きてるの?」とただニュートラルに聴いてくれたら?
そんな、日々の小さな変化を面白がれる、応援しあえる関係性だったら?
私にとってはそんな関係性がホームな感覚を与えてくれる。
ホームって、安らげる場所。 「ああ、帰ってきた」とほっとできる場所。
傷ついた時には休んで、また次の探険にそっと送り出してくれる場所。
あなたにとってのホームって、どういう感じだろう?
是非、時間をつくって感じてみてほしい。

あきらめないで

そんなホームを実現するための一歩を阻むのが、冒頭の諦めの言葉たち。
でもね、変わるのが人間なので。
人間が変わる事で関係性も変わる。
私の父(82歳)と私の源家族も、まさに今、変化の時を迎えている。
その話は長くなるからまた別の機会にゆずるとして、ほんと、年齢など関係ない。
変わらない人間はいないのだ。

問題を問題でなくする「話し合う力」

2024年は、家族をAwayからHomeへという願いから、多くの皆さんと出会う1年にしたいと願っている。
私達の視線は未来を生きていく子供たちに向けられている。
子供たちを守れる大人たちになろう。
子供たちにとってのHomeをつくれる大人たちになろう。
昨日までの常識は、今日の非常識。 強者と弱者が一晩で入れ替わる時代。
ダイバーシティが叫ばれる世の中は、大人たちもこれまで経験したことの無い世界。
今、「話し合う力」が問われる時代がやってきたと感じている。
自分の正当性を主張したり、問題解決のためじゃなく、問題と見えている事を問題でなくする話し合い。

学校の先生たちも、これまで通りの知識をインストールするだけが仕事じゃなくなってきてるんじゃないかな?
保護者の期待は、学校という場における権威として、先生が正しいか間違いか判断して押し付ける事じゃないと思う。
ダイバーシティが尊重される世の中で、子供たちが、生き生きと自分らしく生きていけることを保護者達は願っている。

そんな ”今まで通りじゃない世界” で、自分がどんなHomeをつくりたいのかを感じる機会を提供していきたい。