家族についての私の願い

私の幼少期の傷から生まれた、家族に対する願いがあります。父のパワーが日常的に暴れまわる家庭で育ちました。その暮らしの中で両親の在り方から学んだ「女は弱く、男に劣る」、「私には力がない」という価値観や、「私は愛されない」という世界観。自分にそのような視点があるという事を自覚できないままに最初の結婚生活を送っていた私には、30歳を手前に子供たちを連れて離婚するまで、安心して生きられる「Home」がありませんでした。

再婚し、現在の夫と「互いに敬意を払う」「コントロールを手放す」家族関係を築く事ができて初めて自分がそれまでどういう状態だったのか、に意識が向き、「生きるため、自分を守るために本来持っている自分の力を相手に明け渡していたのだと理解しました。

こうした気づきを経て、自分の痛みと向き合い、「家族の内の誰かひとりの世界を実現する為に他の家族が犠牲になるのではなく、森で様々な生き物が共存しているように家族それぞれの世界を大切に、互いに与えあい受取りあって、エネルギーが循環する一つの『生態系のように生きられる家族』を実現したい」という願いが生まれました。

ファミリードッツメンバーとして伝えていきたいこと

「この歳になったら、人間そうそう変わらないよ」という言葉を時々耳にします。しかし、”人間はいくつになろうと、変わりたいと願えば変わる事ができるのだ”と私は信じています。(*成人も意識的に発達する事は多くの理論や研究結果で裏付けられています。)

受動的で、生きるのがつらかった時代から「生きよう」と決めて飛び出した時、私の発達のプロセスが始まりました。ゼロからのスタート。何も失うものはなかったので、何でも挑戦しました。

得たモノは計り知れませんが、私の発達レベルや無意識の世界観が影響して、数々の不本意な現実に直面します。いつでも体当たりなので傷だらけで、常に何かと闘っていました。その当時の私は本当に「人生は戦いだ」と言っていたのを思い出します。

私の中にあった世界観によって「勝つ」ことが私のすべてであり、体験したことがない「人は愛にあふれている」や「つながりによって満たされる」という感覚は存在することすら理解できませんでした。周囲にもそうしたお手本になってくれる人はいませんでしたし、人は自分が知らない自分にはなれないものです。

そんな未熟な自分だった時代のことを、私は黒歴史として真っ黒に塗りつぶし、見ないようにしてきました。でもどれだけの年数を生きても、どれほど経験や知識を積んでも、誰もが死ぬまで発達を続けるのだとしたら、この黒歴史だと思っていた自分の過去も、自分の発達・成長のプロセスの一部であり、そこを通ってきたからこそ今の自分があるのだと今は受け入れ統合されています。

Be the change you want to see ー ガンジー ー

何かが変わってほしい、と願うなら、自分自身がまず変化しよう。

そして、「家族の内側にある世界」に気づいていくために、対話がとても有効だという事もお伝えしていきたいです。

人生はいつだって発達の途上。それを思い出せば、この先に見えてくる光を見逃す事はないという事、対話が、自分と家族の感情やニーズを知り大切にするために、とてもとてもパワフルなんだ!と沢山の人に知ってほしいと願っています。

記事を書いた人:前田恵子 

1967年2月生まれ 夫とシーズー2匹と、穏やかに埼玉の田舎暮らし。3人の孫たちの成長に癒しをもらう毎日。趣味:お料理、お菓子作り、編み物。幼少期は貧しい家庭で父の虐待におびえながら育つ。中学でいじめにあう体験。高校卒業後、地方銀行に就職も3年で退職、22歳で結婚し、娘2人を授かる。29歳で夫のモラハラと暴力に決別する形で離婚。離婚を機に化学メーカーに就職、母に助けてもらいながら娘たちを育てる。11年勤務後、社内プロジェクトで現在の夫に出会い、再婚。ようやく親子で安心して生きられるHomeを得る。再婚を機に退職、思春期の娘たちと過ごす時間を楽しみながら、手芸作家として活動、雑誌への作品掲載やイベントの企画運営にも挑戦。その後外資系販社に勤務、組織開発プロジェクトでコーチングに出会い、人としての成長に目醒める。

現在はコーチとして独立、パーソナルコーチングの他、結婚を控えた人向けのマリッジコーチング、パートナーとの関係性を編みなおすためのパートナーシップコーチング、対話や関係性をキーワードにしたワークショップなどを企画、実施している。